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STORY

前回のブログから数ヶ月が経ってしまってまたもうちょっと更新したかったな、、、と前回投稿した日付を見て思いました。

ありがたいことに25AWのデビューシーズンの売れ行きは好調で、まだまだ安堵してはいけないですが、ありがたい限りです。26SSのデリバリー前にはアイテムごとだったり全体のコンセプトをこちらでまとめる予定です、、、!必ず!


最近、制作の合間や移動中に、本質って何だろうと考える時間が増えた。


たくさんの情報が流れてくる時代の中で、過去の引用やリバイバルも、技術の進化も、アイデアの断片も、

一度すべて同じテーブルの上に並んでしまった感じがある。


そこにいると、逆に「じゃあ、自分は何を“再解釈”しようとしているんだろう?」

という問いに向き合わざるを得なくなる。


ファッションは引用でできている。でも、それだけでは足りないし、

ファッションは歴史そのものが引用の連続だと思う。


ワークウェア、スポーツ、ミリタリー、フォークロア、ユニフォーム…。

誰かが生きた時代の空気や背景が服の形になり、それを別の時代がまた違う意味で拾い直していく。


引用自体は悪いことではない。むしろファッションの面白さの一部だと思う。

どう引用するか、どう解釈するか。


でも、ただ再演するだけでは、当時の表面だけをなでてしまう感覚が残る。


本当にやりたいのは、その時代の態度とかを、今の時代で別の形に訳すこと。


形ではなく態度としての再解釈。

なんとなくMIDTHINGSでも態度としての物事の見方というか

事象の態度をまずは考えるデザイン。


たとえば昔のミリタリーウェアを参考にするとき、具体的なポケットの形を真似たいわけではなく、

その服に宿っていた目的に忠実な姿勢とか、無駄のない構造とか、

ある種の厳しさみたいなものに惹かれている。


それをそのままコピーするのではなく、現代の生活や、自分の感覚に置き換えたとき、

どんな態度として残るのか。


そういう再解釈は、形よりもずっと繊細だし、答えが一つに決まらないぶん、

時間をかけて向き合いたい領域だと思う。


本質って、付け足すというより、むしろ削ることで見えてくるものだと最近感じる。


一度かたちを解体して、自分の記憶や感情と混ざるように距離を置いて残った気配だけを拾い上げる


その状態になるまで待つのに時間がかかるし、急いでも届かない。

でも、そこに辿り着けたとき、自分がつくる意味みたいなものが静かに輪郭を持ちはじめる。


MIDTHINGSを続けてきて思うのは、曖昧さは本質をぼかすのではなく、

むしろ深く沈める働きを持っているということ。


はっきり言語化できないもの、感覚や記憶の層にしか存在しないものを大事にすると、そこに余白が生まれる。


解釈できる余白があることで、服も、着る人も、関係性を築ける。


曖昧さは曖昧なままでいい。その揺らぎの中に、小さな本質が眠っている。


これは何か大きなテーマに向かっているわけでも、次のシーズンを語りたいわけでもなくて、

ただ今の自分の途中の思考を書き留めておきたいだけでしばらくの間、

本質や再解釈について考える時間が続きそうな気がしている。


どこに辿り着くかはまだわからないけれど、答えを急がないことも、

ファッションの大事な態度のひとつだと思う。


「LAZARUS」を見て考えた、“余白”ということ


最近、渡辺信一郎監督の新作アニメ『LAZARUS』を観た。

『カウボーイビバップ』や『サムライチャンプルー』で知られる彼の作品には、いつもどこか“間”がある。空気の流れや、無駄とも思える沈黙が、物語の余韻として残る。でも今回の『LAZARUS』は、それとはまるで違う感触だった。


目まぐるしく動くアクション、完璧に作り込まれた3DCG、息を呑むスピード感。情報量も演出もすごすぎて、まばたきする暇もない。

でも不思議と、どこか「空っぽな感覚」が残った。

ポジティブな意味で全体がスタイリッシュに構成されすぎていて、だからこそ“どこにも自分の居場所がない”ような感じがした。映像の完璧さが、人間らしさを遠ざけているような。

それは、ファッションでも似た感覚を持つことがある。



素材や縫製、構造を徹底的に突き詰めていくほど、「完璧な正解」に近づいていく。

でもその先には、“誰のためでもない服”ができあがってしまう気がして、ふと立ち止まる。


遊びのなさは、居心地の悪さにつながるように思ってて、

もちろん、いろんな服があって、完璧であることに重きを置いた素晴らしいブランドは世の中多い。

毎度見るたびに息を呑むような素晴らしい服達、、、


だけどMIDTHINGSではいつも、「余白」や「未完成の美しさ」みたいなものを考えている。

手刺繍の文字、いびつなビーズ、わざとムラのある縫い方。子どもが描いたような刺繍もそうだ。

それは「雑さ」ではなく、“誰かが手を加える余地”を残すということ。または誰かの手に渡った記憶のような錯覚を思い出させるもの。



LAZARUSを見て、あらためて思ったことは、

完璧であることと、人の感情に触れることは、必ずしも同じではない。

むしろ、すこし崩れていたり、意味が明確じゃなかったりするものの方が、見る人の中でゆっくり育つ気がする。



MIDTHINGSの服も、着た人の時間や記憶で、少しずつ輪郭が変わっていくようなものになっていたらいい。

だから今日も、どこかに“あいまいな余白”を仕込みながら服を作っています。。。


最近はLAZARUSの音楽が完璧すぎたのでSpotifyでよく聴いています。



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こんにちは。


日々の忙しさにかまけ、更新が気づいたら5ヶ月も前でした。。。。


今回は、MIDTHINGSのものづくりについて少しお話ししたいと思います。


前回のブログでは、ブランド名の由来や、“中間”や“少年性”といったキーワードについて触れましたが、今回はそれを実際に服のデザインや素材選びにどう落とし込んでいるかという話です。



25AWのコレクションを制作するとき、最初にあったのは、誰かの「記憶」と「曖昧さ」をめぐるムードでした。

それはたとえば、幼少期に使っていた布団や服の柄だったり、光に透けるカーテンの揺れだったり、明確に覚えているわけじゃないけれど、ふとした瞬間に蘇るような感覚です。

そこから導き出されたのが、にじむような輪郭、手の痕跡が感じられる質感、素材の対比といった要素でした。



たとえば、コレクションの中で特に象徴的だったのが、オリジナルのジャカード生地です。

クラシックな植物柄をあえて繊細すぎない粗めの組織で織り、少し素朴さを残しました。ブルゾンやバッグなどに使用したこの生地は、遠目にはパターンが滲んで見え、まさに“記憶の残像”のような印象を持たせています。


他にも、一度人の手に渡ったようなイメージの服、クラフト感のある手刺繍など一枚の服の中に、複数の時間や手触りが共存するような構成を意識しました。


 


服って本来、もっと自由であっていい。


MIDTHINGSでは、ひとつの正解を示すのではなく、「こう着なきゃいけない」というルールから解放される服を作りたいと考えています。

作り手としての意思はしっかりありつつも、それを着る人の手に渡ったとき、全く違う表情を見せてくれる――そんな“余白”を残した服づくりが理想です。


きっと、服は完成した時点では終わりじゃなくて、そこからまた誰かの記憶や日常に混ざって、新しい輪郭を持ちはじめる。

MIDTHINGSは、そんな服をこれからも作っていきたいと思っています。



25AWのデリバリーは7月頃より開始いたします。


1stシーズンですが、いくつかの卸先様に取り扱っていただけますのでまた時期を見てインスタなどでご紹介させていただければと思います。



ではまた、次回の更新で。

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