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STORY

みなさんこんばんは。

今日は少し、関係ない話というか、常々思ってるメンズファッションについて書こうと思い夜な夜な更新します。


メンズファッションは、形のリファレンスがとても強い分野だと思います。


ミリタリー、ワーク、トラッド。どれも歴史があり、文脈があり、「なぜこの形なのか」を説明しやすい。正しさを共有できるという点で、とても成熟した世界だと感じます。


僕自身の原点も、古着でした。特に70年代の EAST WEST のレザージャケットは、本当にのめり込み、見つけては買い集めていた記憶があります。(高すぎましたが、、、、)今でも写真集で見る当時のレザーは格段に美しいなとたまに見返します。


ベルボトムを履いていた時期もありましたし、当時は、形や年代、空気感そのものに強く惹かれていました。

そしてその中で、たくさんの学びもありました。今でも、驚くような仕様の古着に出会うと、思わず心が高揚することがあります。


縫いの順番や、理由の分からない切り替え、一見すると非効率に見える構造。そうした細部に触れるたび、服は必ずしも合理性だけで作られてきたわけではない、ということを実感します。


特に70年代のレザーは色々な影響もあって、、、(ここではあまり言わないようにします)なんだろう、少し異常とも言える華美のデザインがあったな、、、と思ってます。


古着に惹かれていた自分が強く反応していたのは、説明できない装飾や、過剰とも言える手間、意味があるのか分からない選択だったのかもしれません。

だから僕の好きな古着は、いわゆるヴィンテージというより、出自の分からない古着です。

何万、何十万円もするヴィンテージはそれはすごいな、、、と思うんですが、大抵その傍手に取るものは1万円もしないよくわからないものだったりもします。

調べてもはっきりしないことや、知ろうとしても分からない部分が残っているものの方が、不思議と目が離せなくなる。


理由は、きっと、分からないままでいられるからだと思います。


「無駄こそ贅沢」という言葉もありますが、装飾の機能的な意味をどうしても考えすぎてしまうと、どこかで思考が萎縮してしまう感覚があります。


気づけば、服を機能としてどう成立しているか、という視点だけで見てしまい、ファッションそのものが窮屈なものになってしまう。


MIDTHINGSを始めるとき、そこから一歩距離を取りたい、という感覚がありました。


形や機能をゴールにしてしまうと、服の中に残るはずの余白や違和感まで、整理されてしまう気がしたからです。

MIDTHINGSでは、服の形よりも先に、状態や感覚のようなものを見ています。

はっきりと言葉にできない違和感や、きれいに整理しきれない感触。それがどんな形になるかは、作りながら決まっていくことがほとんどです。


途中で寄り道をすることも多くあります。本来なら揃えるはずのものを、あえて揃えないままにしたり。完成させる一歩手前で、そのまま残す選択をしたり。

効率の良いやり方ではないと思いますし、メンズ服として分かりやすいとも言えないかもしれません。

それでも、その寄り道の中にしか残らないものがある。

MIDTHINGSは、そう信じながら服を作っています。


形を参照しない、というよりも、形や機能をゴールにしない。


それが、自分のやり方なのだと思います。

服は、正しく説明できること以上に、理由の分からない引っかかりの方が長く残る場合もあります。

MIDTHINGSは、その引っかかりを無理に意味づけしないまま、そのまま着られる服でありたいと思っています。





前回のブログから数ヶ月が経ってしまってまたもうちょっと更新したかったな、、、と前回投稿した日付を見て思いました。

ありがたいことに25AWのデビューシーズンの売れ行きは好調で、まだまだ安堵してはいけないですが、ありがたい限りです。26SSのデリバリー前にはアイテムごとだったり全体のコンセプトをこちらでまとめる予定です、、、!必ず!


最近、制作の合間や移動中に、本質って何だろうと考える時間が増えた。


たくさんの情報が流れてくる時代の中で、過去の引用やリバイバルも、技術の進化も、アイデアの断片も、

一度すべて同じテーブルの上に並んでしまった感じがある。


そこにいると、逆に「じゃあ、自分は何を“再解釈”しようとしているんだろう?」

という問いに向き合わざるを得なくなる。


ファッションは引用でできている。でも、それだけでは足りないし、

ファッションは歴史そのものが引用の連続だと思う。


ワークウェア、スポーツ、ミリタリー、フォークロア、ユニフォーム…。

誰かが生きた時代の空気や背景が服の形になり、それを別の時代がまた違う意味で拾い直していく。


引用自体は悪いことではない。むしろファッションの面白さの一部だと思う。

どう引用するか、どう解釈するか。


でも、ただ再演するだけでは、当時の表面だけをなでてしまう感覚が残る。


本当にやりたいのは、その時代の態度とかを、今の時代で別の形に訳すこと。


形ではなく態度としての再解釈。

なんとなくMIDTHINGSでも態度としての物事の見方というか

事象の態度をまずは考えるデザイン。


たとえば昔のミリタリーウェアを参考にするとき、具体的なポケットの形を真似たいわけではなく、

その服に宿っていた目的に忠実な姿勢とか、無駄のない構造とか、

ある種の厳しさみたいなものに惹かれている。


それをそのままコピーするのではなく、現代の生活や、自分の感覚に置き換えたとき、

どんな態度として残るのか。


そういう再解釈は、形よりもずっと繊細だし、答えが一つに決まらないぶん、

時間をかけて向き合いたい領域だと思う。


本質って、付け足すというより、むしろ削ることで見えてくるものだと最近感じる。


一度かたちを解体して、自分の記憶や感情と混ざるように距離を置いて残った気配だけを拾い上げる


その状態になるまで待つのに時間がかかるし、急いでも届かない。

でも、そこに辿り着けたとき、自分がつくる意味みたいなものが静かに輪郭を持ちはじめる。


MIDTHINGSを続けてきて思うのは、曖昧さは本質をぼかすのではなく、

むしろ深く沈める働きを持っているということ。


はっきり言語化できないもの、感覚や記憶の層にしか存在しないものを大事にすると、そこに余白が生まれる。


解釈できる余白があることで、服も、着る人も、関係性を築ける。


曖昧さは曖昧なままでいい。その揺らぎの中に、小さな本質が眠っている。


これは何か大きなテーマに向かっているわけでも、次のシーズンを語りたいわけでもなくて、

ただ今の自分の途中の思考を書き留めておきたいだけでしばらくの間、

本質や再解釈について考える時間が続きそうな気がしている。


どこに辿り着くかはまだわからないけれど、答えを急がないことも、

ファッションの大事な態度のひとつだと思う。


「LAZARUS」を見て考えた、“余白”ということ


最近、渡辺信一郎監督の新作アニメ『LAZARUS』を観た。

『カウボーイビバップ』や『サムライチャンプルー』で知られる彼の作品には、いつもどこか“間”がある。空気の流れや、無駄とも思える沈黙が、物語の余韻として残る。でも今回の『LAZARUS』は、それとはまるで違う感触だった。


目まぐるしく動くアクション、完璧に作り込まれた3DCG、息を呑むスピード感。情報量も演出もすごすぎて、まばたきする暇もない。

でも不思議と、どこか「空っぽな感覚」が残った。

ポジティブな意味で全体がスタイリッシュに構成されすぎていて、だからこそ“どこにも自分の居場所がない”ような感じがした。映像の完璧さが、人間らしさを遠ざけているような。

それは、ファッションでも似た感覚を持つことがある。



素材や縫製、構造を徹底的に突き詰めていくほど、「完璧な正解」に近づいていく。

でもその先には、“誰のためでもない服”ができあがってしまう気がして、ふと立ち止まる。


遊びのなさは、居心地の悪さにつながるように思ってて、

もちろん、いろんな服があって、完璧であることに重きを置いた素晴らしいブランドは世の中多い。

毎度見るたびに息を呑むような素晴らしい服達、、、


だけどMIDTHINGSではいつも、「余白」や「未完成の美しさ」みたいなものを考えている。

手刺繍の文字、いびつなビーズ、わざとムラのある縫い方。子どもが描いたような刺繍もそうだ。

それは「雑さ」ではなく、“誰かが手を加える余地”を残すということ。または誰かの手に渡った記憶のような錯覚を思い出させるもの。



LAZARUSを見て、あらためて思ったことは、

完璧であることと、人の感情に触れることは、必ずしも同じではない。

むしろ、すこし崩れていたり、意味が明確じゃなかったりするものの方が、見る人の中でゆっくり育つ気がする。



MIDTHINGSの服も、着た人の時間や記憶で、少しずつ輪郭が変わっていくようなものになっていたらいい。

だから今日も、どこかに“あいまいな余白”を仕込みながら服を作っています。。。


最近はLAZARUSの音楽が完璧すぎたのでSpotifyでよく聴いています。



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