top of page
  • Instagram

STORY


昨日落とした鍵を取りに行っている。


片道40分くらい。

往復で考えたらまあまあちゃんと無駄だ。


なんで落としたのかは分からない。

急いでいたのかもしれないし、別に急いでいなかったのかもしれない。

たぶんただ落とした。


今、その鍵を取りに行くためだけに電車に乗っている。


こういう時、めちゃくちゃ無駄だなと思う。

でも、こういう時間に限って考え事をしてしまう。

本当に無駄なら何も考えなければいいのに、結局スマホを開いて、こういう文章を書いている。


最近、物事の背景まで考えたいと思うことが増えた。


なんか最近、誰だっけ。

あ、『氷の城壁』だ。アニメの


「ボーっとしたい」みたいなことを言っていて、最初はそのまま、ああ、ボーっとしたいんだなと思った。

でも、よく考えると、ボーっとしたいってけっこう切実なことかもしれない。


何も考えたくない。

何も判断したくない。

もうこれ以上、自分の中で何かを処理したくない。


そういう状態の言葉なのかもしれない。


表面だけ受け取ると、ただの「ボーっとしたい」だけど、その後ろにはたぶん色々ある。

そこまで考えたい。


というか、最近そういうことを考えないまま会話していることが多いなと思う。

その場に合うことだけ言って、肝心なことは言わない。

本当に思っていることは口から出さないで、なんとなくやり過ごす。


それで別に困らないことも多い。

むしろ、その方がスムーズだったりする。


でもそればかりやっていると、自分が何を考えているのか分からなくなる。


自分の頭で考えて、自分の言葉でしゃべりたい。

ブログを書くのもたぶんその一環。


とか言いながら、今は鍵を取りに行っているだけだけど。


最近、娘が保育園に行き始めた。


それで生活のサイクルがまるっきり変わった。

今までは夜中まで仕事して、朝はわりと自分の都合で動いていた。

でも今は強制的に朝起きないといけない。


これがかなりでかい。


朝起きて、準備して、外に出る。

今まで乗らなかった時間の電車に乗る。

今まで見なかった時間の道を通る。


そうすると、今まで会わなかった人を見る。


毎日同じジムウェアみたいな服で歩いている人。

毎日同じ子と学校に行っている子。

毎朝同じ感じで立っている人。

毎朝迎えてくれる保育士さん。


なんで毎回同じ服なんだろうとか、

あの人はどこまで歩くんだろうとか、

あの子たちは毎日一緒だけどどういう関係なんだろうとか、

保育士さんはなんで毎朝あんなにちゃんと明るいんだろうとか、

勝手に考えてしまう。


自分も向こうから見たら、毎朝子どもを連れて歩いている人なんだと思う。

そういう朝の景色の一部になっている。


昔から、毎日同じサイクルで過ごすことが本当に苦手だった。

決まった時間に起きて、決まった場所に行って、決まったことをするのがかなり苦手で、そこからリタイアした組だと思っている。


なのに今、保育園によって強制的に社会に引き戻されている感じがある。


最初は、うわ、と思った。

朝かよ、毎日かよ、と思った。


でも今のところ意外と悪くない。

人間観察が楽しい。


制作期間も始まって、毎日かなり振り絞っている。


考えて、作って、これでいいかもしれないと思って、寝る。

で、次の日見たら全然違う。


昨日よかったものが、今日はなんか違う。

昨日気にならなかったところが、今日はすごく気になる。

昨日は成立していると思ったバランスが、今日は嘘っぽく見える。


毎日それ。


自分との対話の中で、なんとか納得できるところまで持っていく。

でもその納得が全然長持ちしない。

朝になったらまた疑っている。


結局、ギリギリまでああでもないこうでもないと考えて、作って、壊して、また考えている。


効率は悪い。

本当に悪い。


でも、最初に出した答えをそのまま信じられない。

疑ってしまう。

昨日の自分を今日の自分が信用していない。


面倒くさい。

でもたぶん、それをやらないと納得できない。


そして今、その話を鍵を取りに行く電車の中で書いている。隣に座ってる若い子はモンスター飲んでるし。あれ結構独特な匂いで苦手なんだよな、、


無駄すぎる。

鍵を落とさなければ、この40分はなかった。


でも、この40分がなかったら、この文章もたぶん書いていない。

そう考えると、少し意味があったみたいになるのが嫌だ。


鍵を落としたことを美化したくはない。

普通に面倒くさい。

普通に落とさない方がいい。


ただ、こういうどうしようもない時間にしか出てこない考えもある。


それより、子どもの成長が早すぎる。


本当に早い。

昨日までできなかったことを急にやる。

届かなかった場所に手が届く。

なんか毎日少し違う。


なんだろう、あのバイタリティ。


今のブームはプランク。


一生やっている。

床に手をついて、足を伸ばして、真剣な顔で体を支えている。

誰に言われたわけでもないのに、何回もやっている。


大人よりストイックだと思う。


こっちは朝起きるだけでまあまあ疲れているのに、向こうは朝から新しい動きを開発している。

同じ家にいるのに、時間の流れ方が違いすぎる。


毎日同じことを繰り返すのが苦手だと思っていたけど、同じ朝の中にも違うものはあるのかもしれない。


同じ道。

同じ時間。

同じ服の人。

同じ保育園。

同じような朝。


でも、見ようとするとちょっとずつ違う。


ボーっとしていたい日もある。

何も考えずに流されたい日もある。

というか、かなりある。


でも今は、もう少しだけ背景を考えていたい。


なんでその言葉が出たのか。

なんでその服で歩いているのか。

なんで毎朝そんなに明るく迎えられるのか。

なんで昨日良いと思ったものが今日は違って見えるのか。

なんで子どもは一生プランクをしているのか。

なんで自分は鍵を落としたのか。


分からない。

分からないけど、考えている。


鍵を取りに行く電車の中で。


26SSのデリバリーが一通り終わった。

このシーズンは、最初から明確なテーマや結論があったわけではない。

むしろ、はっきりさせないまま進めることを前提にしていた。


MIDTHINGSにとっては、2シーズン目のコレクションになる。


新しく何かを加えるというより、

これまで自然に集まってきたものを見直し、

何を残していくのかを選び取るような感覚があった。


ブランドにとって重要なものは、

外から持ち込まれるものではなく、

すでに内側に含まれているものだと思っている。


MIDTHINGSにとっても、

ブランドの輪郭を整えていく過程で、

それは自然と自分自身に近づいていく感覚があった。


何かを演出するというより、

この半年の中で自分が感じていたことや、興味を持っていたことを、

そのまま出していく。


それらをあらためて再考し、拾い上げていく。


陰翳礼讃や、星の王子さま、

そしてClaude Monetのように、

見えないものや、輪郭を持たないまま存在している感覚。


この半年の中で自分が惹かれていたものを辿ると、

結果としてそれらはどれも、MIDTHINGSの持っている感覚と近い位置にあった。


そういったものも含めて、

ブランドの中に自然と残ってきたものを、あらためて扱っている。


制作の中で拾っていたのは、

言葉にしきれないまま残っている感覚や、

説明しようとすると消えてしまうような曖昧な輪郭だった。


たとえば、糸の選び方。

異なる色や風合いの糸を混ぜることで、

結果として滲んだように見える表情が生まれる。


それは染料による効果ではなく、

構造としてそう見えているだけの状態。


どこまでが意図で、どこからが偶然なのか、

境界がはっきりしないまま残っている。


縫製においても同じで、

揃えようと思えば揃えられるものを、あえて揃えきらない。

不揃いな縫い目や、少しずれた切り替えを、

“誤差”として処理せず、そのまま残す。


通常であれば修正される要素を、

どこまで排除せずに成立させられるか。


その判断を繰り返していた。


リネンのセットアップでは、

プリントでありながら織りのように見えることで、

表面と構造の境界が曖昧になる。


カンタ刺繍の古布も、

素材として使うのではなく、一度写真として捉え、

それを別の布に転写している。


物質としての布ではなく、

時間や痕跡だけを抽出して、もう一度布に戻す。


オリジナルと複製の間にある、曖昧な状態をそのまま扱っている。


こうした要素は、どれも強い主張を持つディテールではない。

むしろ、意識して見ようとしなければ通り過ぎてしまうような、弱い情報に近い。


ただ、その“弱さ”の中にしか残らない感覚がある。


はっきりとした意味や役割を与えた瞬間に、

失われてしまうもの。


26SSでは、それを強く見せるのではなく、

消えない程度に残すことを優先している。


結果として出来上がった服は、

完成されていないわけではないが、

意味が固定されていない状態に近い。


店頭に並び、誰かが触れ、選ばれることで、

はじめて具体的な意味や文脈が与えられていく。


そのプロセスを前提として、

最初から余白を残しておく。


これは、

何かを強く提示するためのものではなく、


まだ名前のついていない感覚が、

消えずに残る状態をどうやって服にできるか、


その検証だった。


各社様にてお取り扱いいただいた分は、ありがたいことに在庫が少なくなっている店舗様も多くあります。


現時点で全ての品番をまとめてご覧いただける場は限られていますが、

一部はオフィシャルオンラインストアでも引き続きご覧いただけます。


また、コレクション全体を通して見ていただける機会についても、今後あらためて検討していきたいと考えています。




ご無沙汰しております。

26AWの展示会などでバタバタして先週ようやく3回目の展示会が終了しました。


直近になりますが、3月7日と8日の2日間、大阪のsignさんで MIDTHINGS 26AWの受注会を行います。


ブランドをやっていると、服はほとんどの時間を東京で過ごします。

展示会が終わった後はたいていはアトリエのラックにかかったままです。その後工場さんに行ったり来たりしますが。


だから今回、服をまとめて大阪に持っていくことにしました。

きっかけは、大阪のセレクトショップ signさん です。

1stシーズンからお取引いただいて今回別注のスウェットを作ろうと言ってくれました。

ブランドを始めてまだそれほど時間が経っていない中で、別注を提案してもらえたことは個人的にはかなり大きな出来事でした。


MIDTHINGSの服をとても丁寧に紹介してくれていて

ただ商品として並べるというより、この服がどうやって生まれたのか、どんな空気の中で作られたのかまでちゃんと伝えてくれている感じがあります。


それ以上に印象的だったのは、単純に服がすごく好きな人たちだなということでした。

やり取りをしている中でも、その感じがなんとなく伝わってきます。


だから一度、その街に服を持っていこうと思いました。


それと同時に、大阪という街の空気も少し気になっていました。

東京とはまた少し違うバランスで服が並んでいる気がします。


整いすぎたものより、どこかラフだったり、少しバランスが崩れていたり。

東京よりも、少し自由な感じで服が存在しているような気がしました。


MIDTHINGSの服も、どちらかというとそういう場所にある気がしています。

もしかしたら、この街と相性がいいのかもしれない。

それを一度、確かめてみたいと思いました。


今回の受注会では26AWコレクションの全サンプルをご覧いただけます。

今季のタイトルは


DIRECTED BY NOBODY

The pure sense before being seen


生活の中で起きてしまったことや、まだ誰にも見られていない衝動から少しずつ形になった服たちです。

製品加工による歪みや縮み。素材同士のズレ。縫い目のパッカリング。

意図して作った部分と偶然起きた部分が混ざったまま、そのまま服として残っています。

それはデザインというより、生活の痕跡に近いものかもしれません。


そして今回、signさんとの別注としてスウェットも作りました。

型はTHE THIRD SWEATSHIRT

26SSではネイビーのみで作っていたモデルですが、今回の別注では生地の色とプリントの配色を変えています。

普段自分では選ばない色だったりもしてあ、でもsignさんらしいなと仮定仮定で上がってくるサンプルを見て思ってました。自分の服が他の思考が加わることは、新鮮な経験でした。


大阪で、この服たちがどう見えるのか。

それを確かめるような2日間になる気がしています。


もし近くに来ることがあれば、気軽に覗いてもらえたら嬉しいです。


サンプルをスーツケースに詰めながら、と思いましたが、秋冬で物量が多かったのでひと足先に服だけ旅立ってもらって、少しだけ大阪に行ってきます。

MIDTHINGS 26AW ORDER EVENT3.7 (Fri) – 3.8 (Sat)Osaka @sign





bottom of page